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本来、さして問題の起こりそうな作業ではなかった筈なのだ。単なる夜気の塊り、巨大ではあったが ただそれだけという精気の集合体を、此処から外へ…特殊な咒によって通路を開いた、此処とは違う負世界の“亜空間”へまでとりあえず誘導し、処分するなり封印するなり。この“陽界”に置いとくと不安定さから何かしら起こらないとも限らないから、此処からはとりあえず切り離しとこうというのが主眼目の任務であり、時間こそ掛かるがそれでも、焦れさえしなければ無難に片付いたであろう、難易度も極めて低かっただろう単純な仕儀だったのに。
『何だよ、誰だよ。名もなき者を庇う気か?』
よその次界から、とんでもない加速をつけた身で、無謀にもそのまま飛び込んで来ようとした何者か。刺激さえ与えなければ無害安泰、だがだが、静電気ひとつであっさり発火し爆発するかも。そういう微妙な危険物質を護衛していた彼らが取った対処は、正体不明の闖入者をせめて、本体へ近づけない、若しくは接触させないこと、だったのだが。咄嗟に素早く、それは素晴らしい精度でもっての狙いを定めて、聖封様が放った小型の障壁に見事ぶつかって停止した“存在”は、いかにもな“お子様”というその見栄えに相応しいまでのお元気で不遜な態度でもって、先の減らず口を憤慨もたっぷりに叩いて下さるわ。そしてそして、肝心の“危険物質”の方は方で、
――― うおぉおおぉぉ〜〜〜〜んんんんんっっ
夜陰に低く長々と轟いたは。単なる曖昧な生気の塊りだった筈の代物が、何らかの強い刺激が接近したことへ、反応してか影響を受けてか。その結びつきを見る見ると強めて、別な“何物か”へと変化した証し。確たる意志や自我までをも持ったかどうかはまだ不明ではあるけれど、単なる分子の集まりから“進化”したには違いなく。
「これがお役所仕事なら、そこんところへの確固たる精査と確認も必要ってことになるんだろうな。」
自我・意識がある知性体は、もしかすると…対話の不可能な“害獣”ではないかも知れないから。それと対峙するにあたっては“説得”という対処が新たに加わる。当然、対処出来る担当者のレベルも、もっと上級の者でないとという具合に、何から何までそのお膳立てを変えねばならないほどもの、多大なる状況変化であるのだが。この突発的な…しかもかなりの揮発性を孕んだ展開において、精査なんて悠長なことを執り行える筈もなく。
「俺らが居合わせなかったなら、そういう混乱の下に“手遅れ”なんてなカッコの大惨事まで、引き起こして下さったってコトになるんだぞ、こんのクソ餓鬼がっっ!」
時代劇でいえば、天下御免の“火付け盗賊改方”のようなもの。(おいおい) その絶対の腕前と判断力とを買われ、どんな相手であれ、どんな現場であれ、その場で断罪してよしという許可と資格を併せ持つ身なればこそ。今から何をするぞというよな、ことがら、次第。誰に何を言い残すでなくの即決にて。その手へ召喚した精霊刀を引き抜いて、後をも見ずにその巨大な“虚体”へと向かって駆け出した破邪殿であり。そんな彼を、こちらもフォローせねばならない聖封殿が、それでも一言くらいは言ってやらんと収まらないとばかり、このとんだ展開を招いた紛れもない元凶、張本人であるお子様へ、忌ま忌ましげに怒号を放ち、
「待てっ、ゾロっ! もう少し強靭な緩衝結界を張るっ。」
対象への影響を案じて、ここまでは執れなかった対処だが、こうなったらもう、何が重なってもこれ以上の事態の悪化は招くまいし、逆に言やぁ周辺への甚大な被害が出かねない方向へと、状況も激変したのだし。スーツの懐ろから結界用の咒符を何枚か掴み出しつつ、先んじて動いた相棒のでっかい背中を追い、金の髪を夜陰の中にひるがえして駆け出したサンジの痩躯を、どこか呆然としたまま見送った、問題のお子様はといえば。
《 ………何だよ。まるで俺ひとりが悪いみたいじゃんかよ。》
そりゃあさ、飛び出した先に誰か居合わせてるかもしんないってことでの、先触れの声なり念波なりを全く放たなかった、乱暴な突入を仕掛けはしたけどサ。要は結果だ、成功して済みゃあ いいことだからって、それで通しててもこれまで叱られたことなんか、一度もなかったのによ。
《 これだから小粒の集まりは扱いが面倒なんだよな。》
自分らには大儀なことだからって編み出した、細かい段取りとか手順とかがあるんだろけどよ。そんなもん、ハイパワー・ハイグレードの俺らには要らねぇっての…と。何やらぶつぶつとぶうたれていた男の子。夜陰ごと、ただならぬ気配に満たされて、この時期には珍しいまでの強い突風が吹き始めてもいる。郊外地であるがゆえ、そこここの斜面に残りし木立がたわみ、風の唸りを増幅しており、
「外へは逃すなっ!」
「爆風が生じるやも…っ。」
「最下の者、見習いは、先に天聖門まで撤退せよっっ!」
騒然となった周囲の喧噪に誤魔化しての、誰へでもない…敢えて言えば自分への説得、自分のしでかしたことへの正当さの確認を兼ねたような、言い訳のようなそれだったのだけれど、
「…そこのあなた。」
不意な声がかかったので、半ば条件反射のようなノリで“ああ"?”と面倒そうなお声を出しつつ、首をそちらへ回してみれば。絹糸のようなつややかな長い髪を、頭の上の方でポニーテイルにきつく束ねた年若い女性が一人、周囲の喧噪に浮足立つこともないまま、毅然とした表情にて、宙空に浮かんだままな自分の方を真っ直ぐに見やっている。この障壁結界に覆われし空間の中にいるということは、彼女もまた、彼ら天聖界の仲間うちの存在であるのだろう。品の良さそうな凛と冴えた面差しは、こんな騒然とした中にあっても動じていない、いかにも知的そうな人性と落ち着きとを伝えて来たから。
《 何だ? 俺に何か用か?》
礼儀に適った態度を取るなら、特別に聞いてやってもいいぞと。そんな様子がありありと見えるよな、どこかがやはり不遜なままの不審なお子様。それでも…声を張り上げなくとも対話できる位置までへと、するするっと降りて来たのは。理知的で冷静な相手だと見て取っての、言わば安堵から。頭ごなしに怒鳴るような無礼をしないなら、態度や姿勢を多少は緩和してやろうぞという、心持ちの変化の現れでもあったのだろうが。
――― しゅるんっ、と。
まるで淑女でも招くように、こちらへと誘導するためのなめらかな所作にて伸べられた綺麗な手のひら。それが…不意にくるりと上下を返して向きを変えると、こちらへ盾のように立てられて。その中央から飛び出して来たのはなんと、何かしらの植物の蔓。勢いよくも長々と、投げ縄のように飛び出して、獲物を見事に搦め捕る。
《 わっ!》
ご大層な物言いをしていた割に、搦め捕られた就縛からは逃れられぬのか、じたばたと もがくばかり。
《 何すんだよっ!》
またぞろ何かしら、喧しくも偉そうな物言いを並べ立てようとする彼へ、
「独り言のつもりか知らないけれど、全部聞かせていただきました。」
ビビはそうと先んじて言ってのけると、
「ぶつくさと言い訳をしちゃうからには、これが不味い結果だって事が理解出来るほどには“分別”ってものも持ち合わせているらしいわね。だったら、あなたにこんな無体をしていいと許した大人を、此処に居るままで呼びなさい。その誰かの庇護の下、背中に隠れねば、逃げ帰らねば呼べないというのなら、あなたが引き起こしたアクシデント全てがきっちり鎮圧されるまでを、此処に居て大人しく見届けてなさい。」
おおう。さすがは天聖界でも指折りの名家のお嬢様にして、なのに実務につきたいからと、戦に間近いものを司る家系の者でもそう簡単には、実務、現場へ向かえる立場には就けないほどに。山ほどの難関や試練をクリアし、乗り越えた剛の者。この状況を静かに見据えていたのみならず、スタッフたちの懸命さと力量とを素早く精査した上で、彼らに任せておいていいことはそのまま執行というGOサインを出した上で、誰もが手塞がりになり、構ってられない問題のお子様へのお仕置きを、自分がと担当した彼女であり。彼女が…大の大人だって圧倒されたろう、見事な口調と威勢にて切って見せた啖呵だったが、
《 う…っ。》
おやと。ビビも意外だと思ったのは、何を言われたのだかをちゃんと理解したらしく、ぐうの音も出ないで黙ってしまった彼だったこと。そんなこと知らないと拗ねるか不貞腐れるか。無責任の極み、どんな大事かも理解しないまま、ヒーロー気取りでやらかした無体を、なのに“なんで自分が叱られなきゃからんのか”と、開き直るんじゃないかなんて、思っていたのにね。さすがに…この嵐の中心になり果てて、辺り一帯の何もかもを飲み込まんとしている不安定物質の塊りが、暴走しているのは判るのだろうが、
「…不味いな。暗転変化しかけとる。」
一番に恐れていたこと。爆発して吹っ飛ぶならまだ、大急ぎで展開中の障壁の中でのこととし、誰にも気づかれずという結果へと誘い込めるが。だが、虚無空間への暗転変化へと状態が転化しつつある…というのって、一体どういう意味なんでしょうか?
“内へ内へという連結が何層にも迷走収縮を起こして重なった末の現象でしてね。”
はい。
“ブラックホール化してんですよ。しかも、どんどんと重力を増しつつある。”
もはやあり得ない密度にまで。まだまだ縮み続ける揮発体へと、周辺のあらゆるものが圧の差や磁場に抗えずにどんどんと吸い込まれる。すると、質量が増すのでますますのこと、磁力線の強さも圧も、つまりは吸引力がどんと高まり、もっともっとと周辺の存在を何でもかんでも吸い込んでしまい、結果、虚無海へのゲート化してしまう。そうなる前にと思ってのことだろう、
――― 吽っっ!
疾風の中、頼もしき双肩をしならせて。破邪殿が強靭な剣撃を幾つも打ち込み、飛び込んでゆくこの陽世界の生気や何や、質量のあるものを片っ端から、虚無空間なんぞへせめて渡すまいと叩き落としているのだけれど、
「障壁で覆うことは出来ねぇのかっ!」
「無理だ。もうちっと縮んでくれれば、何とか覆えるが。」
ただし、そうなると相手の吸引力もまた倍加しているだろうから、サンジ一人が立ちはだかっての純粋な念じでの封印であたらねばならず、
「…しゃあねぇな。死に水は取ってやらあ。」
「ありがたいねぇ。」
でもどうせなら、ビビちゃんとか綺麗どころに見送ってほしいとこだがよと、こんな事態の最中でも結構余裕のやり取りを交わすお二人さんであり、
「若様っ、周囲からの障壁は設置、完了致しましたっ。」
「おお、ご苦労。」
そんじゃあ、もうお前らは帰んなと、あっさりした手振りでもって腕を伸べ、宙を撫でるように綺麗な手を一振りし。仰々しい敬礼をして下さる曹長クラスだろう指揮官さんをいなして、さて。
「………何を笑っとる。」
「いや。お前…そうだよな。天巌宮の“若様”なんだよな。」
微妙に斜めを向いてたせいで、こちらへは大きな背中を向けていた男が。この非常事態だってのに…ふるふると震えていたりし。決して夜風が寒いからではなかろう、その引きつりに、
「…悪いかよ。」
言いながら先に、悪かったなと言いたげな口の曲げ方をして見せる相棒へ、
「いんや。」
振り切るように頭を揺すり、そのまま顔を上げて見せ、
「さぁて、どうするね。若旦那。」
「そうさな。ここは相殺の封印が無難だろ。」
「陽界のエキスを十分に練った念咒を叩き込む?」
「ああ。ちーとばかり時間稼ぎが必要だ。しっかり働け? 剣術バカ。」
対岸の火事でも眺めやるかのような落ち着いた態度で、だが、その眼差しだけは鋭く冴えたまま。意志のない悪鬼となり果てた真冬の夜陰の塊が、旋風を吸い込み続ける凄惨な修羅場を、意欲満々な面持ちにて じっと睨みつけて………さて。
《 判ったよっ。
そんなに責め立てるんなら、いっそこの俺が何とかしてやらあっ。》
「あ、こらっ! ちょっと、お待ちなさいっ!!」
……… さて??(笑)
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*いえあの、実を言うと、
この悪ガキ…坊やを誰にキャスティングしようかで、随分と考え込まされまして。
女の子の脇役さんは、
あの…ゾロが磔にされていた島の、レストランのお嬢ちゃんのリカちゃんに始まって、
アイサにアピスにラキさんにコニスさんにと、
結構拾い捲ってたものの、
そういや男の子ってのは、アニメオリジナルの方でもあんまり注目してなかったかなと。
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